旅と史跡の記録

伊藤博文旧宅・別邸

伊藤博文別邸

■概要■

伊藤博文が青年時代を過ごした旧宅と、東京に建てた邸宅の一部を移築した別邸がある。

伊藤博文旧宅

伊藤博文旧宅

伊藤博文陶像

■見どころ■

別邸は、伊藤博文が明治40年(1907年)に東京に建てた邸宅の一部を平成10年に移築したもの。旧宅は、元は萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅。安政元年(1854年)に博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家揃って伊藤家に入り青年時代を過ごした。

■歴史■

伊藤博文は天保12年(1841年)熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)の農家に生まれる。博文の父・林十蔵が萩藩の中間・伊藤家の養子となったため、伊藤家に入家。木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り、尊皇攘夷運動に加わる。文久3年(1863年)には長州ファイブの一人として井上聞多(馨)らとイギリスに密航留学した。明治18年(1885)初代内閣総理大臣となった。

■逸話■

旧宅のそばに建てられている伊藤博文陶像は、萩焼で造られている。

■ガイドパネル■

旧宅ガイドパネルより:「この建物は、最初、水井武兵衛(伊藤直右衛門)の居宅であったが、安政元年(1854)に博文の父十蔵が一家をあげて伊藤家に入家してからは、博文の居宅となった。ここで、博文は吉田松陰の門下生に入って教育を受け、志士として活躍した。明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでここを本拠とした。 その後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣に就任するなど政府の要職を歴任した。」

■観光情報■

所在地:  山口県萩市椿東1511ー1 
アクセス:  松陰神社バス停 徒歩約7分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり